津苑Cafe

「恩師の近況」  ~小宮邦英先生(音楽)

w00282w5179efe3b73aad00283d517a22e24545c高校33期のホームページ委員:田代豊さんから投稿いただきました!左の懐かしい写真は当時の小宮先生と田代さん(右隣)含め33期の皆さん。そして、現在の小宮先生と田代さんです。

下段は小宮先生による独唱,指揮、そしてトークされる様子、先日のコンサート打上会乾杯。小宮先生は現在もご活躍です。

c00287c517a2b92b1dec高校33期の田代と申します。
昨夏、事務局の進さんから、ホームページを充実させたいから力を貸してと依頼を受けました。1期先輩の進さんには私たちの当番期のときに大変お世話になったので断るに断り切れず、現在数名で津苑会のホームページ委員をしております。昨年9月以来、月に1回津苑会館でミーティングを行なっています。コンテンツを充実させようと話し合っていく中で、「恩師の近況」のコーナーを作ろうということになって第一回目は私が担当することになり、音楽の小宮邦英先生を紹介いたします。

小宮先生は新任地の八幡高校で20年間勤務され、昭和52年に西高に赴任されました。その後は、退職なさるまでの15年間を西高で教鞭を執られたので、30期の方から46期までの方が習われたのではないかと思います。
私にとっては高校二年の時の担任の先生でした。たまたま私は芸術は美術を選択したので、申し訳ないことに先生の音楽の授業は一度も受けたことがありません。学校にも慣れ、受験もまだ緊迫していない2年1組の私は、先生とは朝と夕方の10分程度のホームルームで顔を合わせるだけでしたが、短いホームルームの時間でも、先生はいつも生き生きと良く通る声で話しをされ、必ず何かしらのジョークや良い意味での“からかい”、嫌味のない“イヤミ”を言われていた記憶があります。生徒を一人の大人として扱ってくれる人間味のあふれる先生で、そのおかげか1組はとても明るくまとまったクラスでした。東北への修学旅行にも引率していただき、幸か不幸か?直接授業を受けなかったことも、先生に対する感覚が楽しかった西高時代を象徴する良き思い出になっているのかもしれません。 自分にとっては、ホームルームの時に現われる父親よりちょっと年下の叔父のような存在でした。
j00288j517a2bbb174a2三年生を送る予餞会では、いつもタキシードに蝶ネクタイではなむけの歌を独唱で唄われ、他の先生方の寸劇などを圧倒する存在感がありました。また新聞記事で小倉市民会館にて「小宮邦英リサイタル」の文字を発見した時には、我が目を疑う思いをしたことも覚えています。教師になられてからも、福岡市や東京に毎月レッスンを受けに長く通われたそうで、本当は音楽家が、世を忍ぶ仮の姿に教師をやっていたのかもしれません。

20年ほど前に、たまたまある場所で先生をお見かけし、あっと思って追いかけて、声をおかけいたしました。私が「西高で2年1組で受け持ってもらった田代です。」と言うと、すぐに思い出してくださり、「あらあらホントやね。」と言われました。既に西高は退職されていて、現在は合唱の指導をされているとのことでした。それ以来、私も先生と同じ八幡西区在住と言うこともあって先生とのお付き合いが再開し、現在に至っております。黒崎に飲みに連れて行っていただいたこともあります。

4月21日(日)昨年開館した八幡西区の「黒崎ひびしんホール」にて、小宮先生の主宰される合唱団「木曜会」の「ソロとアンサンブルのひととき」が開催されました。
満員の観客の中、先生の一人でのおしゃべりで開幕しました。軽妙洒脱でウィットに富んだトークはいまだ健在で、観客も爆笑のウズ。音楽ホールではなく吉本新喜劇の劇場にでもいるかのような雰囲気でした。幕間では、前日東京から来られて数度の音合わせをしただけという伴奏のピアニストの方に、「どっかで間違えればいいと思って聞いているけど・・・間違えんね~。上手やね~。」と言ったかと思うと、独唱の部がスタートする前には、「これはホント緊張するんですよ。ステージの真ん中までまともに歩けないくらい。・・・でもね、他人の緊張は端から見てたら・・・・・・楽しい。」と言い放ち、ささっと影に引っ込んだり。そんな先生独特の間の、カラッとした“イヤミ”に観客は大笑いしていました。しかし、このトークで出演者の緊張も随分和らいだのではないでしょうか。
席に座ってじっと先生の話を聞いていると、34年前の高校当時のホームルームの雰囲気を思い出し、卒業して32年経ってこのような機会に恵まれるとは奇跡のようなことだと思うと、目頭が熱くなってしまいました。

u00285u517a2327cbfd3先生は最初の合唱では指揮をされ、独唱の部では最後に2曲歌われました。マイク無しで、背筋をピンと伸ばし感情を込めて唄う姿は、とても今年80歳になられるお方とは思えません。68歳から昨年までの10年間、毎年2月に東京の紀尾井町ホールでの演奏会に出演されていて、当33期東京在住の数名も駆けつけましたが、そのパワーには驚いていました。

音楽会も無事終了し、場所を移して行なわれた打上会も覗いてみました。メンバーには八幡高校時代の教え子の方もいらしたりで、こちらも先生を中心に笑いで盛り上がっていました。先生が私を皆さんに紹介してくださり、メンバーの方から「高校時代はどんな先生でしたか?」と聞かれました。多分、若かりし頃は厳しかった、という答えを期待していたのでしょう。私が、「今と全く変りません。」と答えると、皆さんは、笑いながらも妙に納得されていました。打上会の始まる前に私が「先生のステージでのトークは、高校の時のホームルームのようでしたよ。」と先生に申したことを先生が披露され、これにも皆さんうなずかれていました。

普通、退職されて20年以上経った恩師には、「いつまでもお元気でいてください。」と教え子は言うものでしょう。しかし、いまだに現役の小宮先生には全くその言葉は似合いません。「先生、そのパワーを少し分けてください。」
わが愛すべき小宮先生、これからも存分にご活躍されてください。

(ちょっと褒め過ぎたかもしれないので、季節の変わり目お風邪などお召しにならいようなさってくださいね。(~_~))