東京支部

『秋吉先生のお話を聴こう会』

高校15期 竹野憲司

 『秋吉先生のお話を聴こう会』というのが、年1回、北九州市で開催されているのをご存知でしょうか?
この会は、西高文芸部OBの有志が、高7期から17期までの文芸部OBに声を掛けて、「秋吉先生の詩界賞受賞を祝う会」を、平成13年8月12日に八幡の千草ホテルで開催し、秋吉先生の受賞記念講演「シルクロードの抒情とは」を拝聴したのが切掛けとなって、毎年、先生に講義(演)をお願いするようなり、今日に至るまで続いているものです。
当時の案内状には、「このたび、恩師秋吉久紀夫先生が、半世紀にわたり中国現代詩を研究、翻訳し、日本に紹介した功績に対し、日本詩人クラブの《第1回詩界賞》を受賞されました。」と、先生の受賞の経緯が、記されております。

その後、この会は、毎年、休むことなく続けられ、節目の10回目の会は、平成22年5月16日に戸畑(ウェル戸畑)で行われました。 また、この年、秋吉先生が、傘寿を迎えられたということで、「秋吉先生の傘寿を祝う集いの会」が、13期・14期の文芸部OBの有志が発起人となり、平成22年7月4日に八幡の千草ホテルで開催されました。
わたし(文芸部OB)は、こちら(東京)に住んでいる関係で、毎回、参加すると言う訳には行きませんが、過去に二度、つまり、「受賞を祝う会」と平成19年5月20日の会(ウェル戸畑)に出席して、先生の講義を拝聴しました。講義後の懇談の席は、雑談も含めて、とても楽しい会でした。
その後は、毎年、小倉から送られてくる案内状の「よく考えますと、結構凄いことを気楽にやっているのだなというのが実感です。中国文学者、詩人としての評価も高い先生に膝を接してお話を聞けるわけですから……」という言葉に頷き、また、別の年の案内状の「この会の目的は、決して文芸部OB会ではありませんし、西高という枠も便宜上そうなっているだけです。どなたでも参加自由、大歓迎です」という言葉に「そうだ。その通りだ!」と呟きながら、昨年の6月、12期(わたしは、12期入学・15期卒業)の古希旅行(長崎)に参加するために、小倉に立ち寄り、14期のM君(文芸部OB)と一緒に八幡(穴生)の秋吉先生のご自宅にお邪魔して、先生と時を忘れて懇談したことを思い浮かべ、「今年こそ、行ってみよう!」という弱い決意(?)を胸に秘めて、今年の案内状を心待ちにしているところです。

秋吉久紀夫先生は、西高に在職中は、現国と漢文の教鞭を執られ、文芸部の顧問をされました。(そして、文芸部誌「若樹」(年1回発行)の生みの親でもありますが、本校のホーム・ページを見ると、文芸部が見当たりません。何時、無くなったのでしょうか?)投稿者注
その後、先生は、近畿大学を経て母校・九州大学の中国文学部教授になられ、退官後に九州大学名誉教授となられました。
現在もお元気で中国文学の研究と詩作を続けられており、中国文学者としても、詩人としても、数多くの実績を残されております。

k00100k4f937d0dbb144著者紹介)
高校15期 竹野憲司
早稲田大学第一文学部文学科露文学専修卒業後、総合商社に勤務し、世界の国々に駐在する。
越田邦彦(えちだ くにひこ)の名前で執筆活動を行い、著書に「続世界のジョーク・警句集」、「ブルガリアの笑いの発信地、ガブロヴォ・アネクドートの旅」、「ブルガリアの笑い、ガブロヴォ・ジョーク」などがある。
また、著書「ブルガリアの笑い、ガブロヴォ・ジョーク」がきっかけとなり、2011年11月27日(日)に、NHK BS-1チャンネル・地球アゴラwith YOU「わたしの国の笑うツボ・泣くツボ」でガブロヴォ・ジョークが、ブルガリア「ユーモアの首都」として紹介された。

投稿者注)
「三筋の伝統 ~写真に見る西高111年~」(平成22年1月発行)誌によると、文芸部は、平成10年頃から活動を停止しているようです。なお、文化部は、平成に入って次々と活動を停止し、今では昭和50~60年代の半分以下です。